7月18日、新型コロナの影響で、延期のまた延期となっていた【みのお森の学校】、第9日目の講座が実施されました。
梅雨も明けて天気は上々。コロナ対策のため会場の引き戸を
全開にし、送風機を置くなどの対策を施して講義が行われました。
今回は終日、箕面ボランティアガイドクラブの方々に講師をしていただきました。
本日のテーマは、「森と人とのいま・むかし」箕面の歴史と文化 午前は座学””、そして午後は「聖地をたずねて気分は巡礼」”箕面の森の古刹探訪”
3班に分かれて、大滝往復の巡検ハイクに出かけました。
スタートは、滝道入り口の東角、「義士萱野三平舊跡」と書かれた道標前。さて、「この道標を設置したのは誰か?」――答えは「お巡りさん。阪急電車が開通して間もないころ、何度も道順を聞かれるので、ついにお巡りさんが自費で建てたそうです・・・。」
滝道の半ば、左側山腹に立つ野口英世の像。「なんでこんなところに野口英世が?博士の研究と箕面と何か関係があったのでしょうか?」。
講師の先生が、再びこぼれ話を。「時は大正時代。野口英世博士が米国から一時帰国した際に、年老いた母をつれて箕面へ滝見物に来られ、その時、川向かいの料亭『琴の家』で豪華な料理や舞妓たちの踊りが振る舞われたそうな。しかし、博士は舞妓たちには目もくれず、母に一所懸命料理を食べさせていたという。母親想いの博士の姿に料亭の女将が感動し、女将が箕面市や市民らに寄付を募って、この銅像を建てたそうです。それに加えてもう一つ。おらが故郷の偉人と慕う福島県の方々が、毎年ここを訪れて清掃されています」
――生徒「へぇえぇ~~え!」。ちょっといい話。
それから、この道を昭和50年代まで観光馬車が通っていたこと、そして道の片隅に馬の水飲み場があって、今も残っていること、過去に大水害が発生して巡査が殉死されたこと、水害の教訓から箕面ダムの建設に至ったこと、などなど――箕面公園に関わるいくつかの歴史の断面に触れながら、大滝に到着しました。
一息ついて帰り道、にわかに雲行きが怪しくなり、途中で激しい雷雨に襲われました。班それぞれに、建物の軒などを借りてしばし雨宿りをしたのち、頃合いをみて坂道を下りました。ちなみに筆者の班は、瀧安寺弁天堂の軒下で雨宿りをしていたら、ありがたいことに住職さんが傘を貸してくださり、雨に濡れることなく戻ることができました。
いよいよ、次回は第16期生の講座は最終日となりました。(文責:成瀬)